別冊エナジー|ドイツ連邦共和国 エネルギー事情 Yumiko Eickmeyer|WASEDABOOK

















































■メルケル首相の「新しいリスク評価」提唱
物理学者でもあるメルケル首相は、2011年3月11日に起きた福島原発事故を受け、6月9日に行った連邦議会での次のような演説を行っている。
「新しい知見を得た場合、必要な対応を行なうために新しい評価を行なわなくてはならない。私は、原子力の残余のリスクは、人間に推定できる限り絶対に起こらないと確信を持てる場合のみ、受け入れることができる」という新しいリスク評価を提唱した。

■「2020年原発全廃宣言」の意思決定プロセス
福島原発以前、熱心な原子力エネルギー政策の推進者でもあったメルケル首相が、福島原発事故から4カ月後で2022年末までに原発を廃止させる法案を連邦議会及び参議院で通過させる。
原発全廃宣言の意思決定の背景には、次の2つの諮問委員会の提言書を受けている。
・原子力の安全を確認するための委員会(原子炉安全委員会)(RSK)
・安全なエネルギー供給に関する倫理委員会

■メルケル首相は「倫理委員会」を重視
原子炉安全委員会(RSK)は、福島原発事故以前から存在していた組織であり、いわゆる「原子力のプロ」で組織されているが、「倫理委員会」は、福島原発事故後に、メルケル首相が組織した。
「倫理委員会」のメンバーには、科学技術界、宗教界、社会学者、政治学者、経済学者、産業界など、多方面から選出している。
メルケル首相は、原発全廃を宣言するに際して、「倫理委員会」の提言書を重視した。





原発政策の意思決定において、メルケル首相は、なぜ「倫理」を議論する必要性があるのでしょう?。

メルケル首相は、原発に伴う様々なリスクをどう考慮すべきなのか、自国で脱原発しても他国から原発由来の電力を輸入するようなことにならないか、温暖化対策の国際公約を反故することなく達成できるか、こうした問いに対する答えを倫理委員会に期待していました。


倫理委員会の役割とは?

原子炉安全委員会が原子力発電の技術的なリスクの問題を精査したのに対し、倫理的そして社会的なリスクを評価するのが倫理委員会の役割でした。

倫理委員会は約2ヶ月という期間に会合を重ねていますが、2011年4月28日に11時間に渡って行われた専門家諮問は、公開討論というかたちで実施されました。

あなたは、この公開討論(2011年4月28日)の内容について翻訳されました。

私は、この公開討論の翻訳に携わったため、個人的関心からだけでなく、数ヶ月に渡って倫理委員会の議論と向き合いました。

倫理委員会については日本においても報道や最終報告書で紹介されているものの、情報は限定的です。

この公開討論の日本語版は名古屋大学の丸山康司准教授のご尽力により実現したものでウェブサイトで公開されています

議論のキーワード「倫理的に公正な脱原発の要素」について教えてください。

倫理委員会でなされた生きた議論を追えば、きっと報道とは違った印象を持たれることと思います。共同委員長による冒頭の挨拶だけ読んでも意外に思うかもしれません。

倫理委員会で話し合われた”倫理的に公正な脱原発の要素”を私なりに整理すると、以下のようになります。

• 気候への負荷の最小限化
• 国際社会での公約遵守(温室効果ガス排出削減目標)
• 他国への影響の最小限化(原発由来の電力輸入の回避、安定供給)
• 他国の原発への投融資の禁止
・将来世代へ遺されるリスクの軽減(放射性廃棄物)
• 社会的弱者のコスト対策(電気代、省エネ改修費用)
• 産業、雇用の確保
• 代替エネルギーによる景観荒廃の回避と自然保護
• バイオマスと食糧との競合によるグローバルな貧困助長の回避
• エネルギー生産性向上のための遺伝子組み換え種子導入拡大の回避
• 受容できるリスクのラインについての国民的議論
• 新しい豊かさのモデルについての国民的議論

「原発なくしてCO2排出はどうなる」、「脱原発したら電気代は上がるのでは」というところから始まり、ひとりひとりのエネルギー消費を根本的に変えるための教育の必要性や、新しい豊かさのモデルの検討にまで至ります。

そして、リスクをどう捉えるかという問題には正解はなく、リスクの確率と被害規模だけをみて判断するのでは大きな取りこぼしが出てきてしまうので、どこまでなら受容できるか、そのラインを国民で民主的に決めよう。

このようなことについても倫理委員会では触れています。

リスク判定の基準と主体を国民レベルまで引き降ろしたわけですね。

ドイツ政府は脱原発について学ぶための学校用副読本を2007年に作っています。『停めても全然問題ない? ―脱原発をめぐる事実と論点(抄訳)』という冊子で、環境省が製作したものです。

当時のドイツは既に脱原発をする方向であり、ここでは原発推進派と脱原発派の意見を対比して考えさせるなどしていますが、「本当に脱原発しちゃって大丈夫なのだろうか?」という疑念を払拭する内容だといえます。

プロジェクトメンバーには持続可能な開発のための教育(ESD)の専門家も加わり、サステナビリティの視点が強化されています。

リスクの受け止め方には個人差があることを踏まえた上で議論し妥協点を探ることの重要さが、ここでも学べるような構成になっています。

さらに、リオ宣言の予防原則(環境に深刻もしくは取りかえしのつかない被害が出る恐れがある場合は、科学的確実性の欠如を理由に対策を見送るべきではないといったもの)まで登場します。

倫理委員会の議論の下地となるような内容が既にこの副読本で取り扱われていたことに驚きます。


「倫理委員会」には、専門家以外に、NGOなどのメンバーは入っていますか?

いいえ、委員会自体にはNGOを代表するメンバーはおりません。このことはNGOやメディアの批判の対象にもなりました。

ただし、委員会に諮問された専門家のなかには環境NGOや青年NGOのメンバーがいました。


エネルギー政策の意思決定において、市民や国民の視点というものは重要視されていますか?

一般的にドイツの市民団体の社会的影響力は日本の比ではありません。

たとえば環境団体も何十万人という会員を抱えており、政策への影響も少なくありません。

倫理を扱う委員会に教会関係者が含まれていたこと、カトリックとプロテスタント双方の代表が招聘されていたことは、ドイツの社会構造からすれば当然のことです。

ドイツ国民の倫理観というのは、主に地域に特化した宗派の違いこそあれども、キリスト教の影響を色濃く受けています。

倫理委員会のメンバーである、ある神学者は、「社会の真ん中で合意を得るところに教会の意義がある」と言っています


「倫理委員会」の議論のプロセスを振り返ると、日本とドイツのエネルギー政策に対する意思決定に落差がありますね。

違いのひとつは、倫理委員会のいくつかの会合は公開で実施されたことです。

4月28日に行われた11時間にも及ぶ公開討論は、テレビ中継およびネットストリーミングされ、最大時で150万人が議論のゆくえを視聴していたといいます。

このようなことは日本では実現しそうにないなと私は感心しましたが、ドイツでは、特にこのプロセス自体について賞賛するような評価を読んでいません。


国民の評価はいかがでしたか。

脱原発や再生可能エネルギー普及の活動をしていたNGOの友人などは、透明性を確保しようとしている姿勢をPRしたいだけだろうと、公開討論についてもむしろ冷やかな目を向けていました。

公開討論を行った背景には、当時の世論の強い反発や不信感が作用していました。


国民レベルでの反原発運動というのは起きていたのでしょうか。

ドイツの反原発運動の歴史は長いですが、2009年秋から新たに何万人規模のデモが繰りかえされていました。

当時は、脱原発で合意していたそれまでの政権から、原発延命をめざす政権へと代わりそうな雲行きでした。

事実、政権交代が起きて原発の稼働期間を延長する流れとなり、市民は議会や大統領への抗議活動も行いますが、それを振りきっての原発延命決定が2010年の秋。市民は怒り沸騰でした。

当時、私はベルリンに住んでこうした状況を目の当たりにし、自身のブログでレポートしていました。

また、当時ニュースを賑わせていたシュトゥットガルト中央駅周辺の改修工事をめぐる騒動の影響も少なくありません。

市民の意見を無視した強引なプロセスで工事が進められようとしており、さらにデモ隊に対して放水車を投入するなどの乱闘騒ぎも起こって、本来ローカルなプロジェクトながら一時期全国的に紙面を賑わせました。

そこから導かれた反省から、市民参画による社会的合意を得ることに神経質にならざるを得ないといった空気が社会全体にありました。この点については倫理委員会でも繰り返し触れています。



■ドイツ各都市の独自政策
ドイツの各都市は、20世紀終わりから、自然環境に配慮した政策やエネルギー問題に熱心に取り組んできた。

とくに、チェルノブイリ原発事故を契機として、90年代以降、自治体固有の具体的なエネルギー政策を推進させた。
フランクフルト市(エネルギーマネジメント、分散型熱供給網の配備)、ハノーファー市(パッシブハウス基準、統合的建築物改修プロジェクト、棄物処理利用)、ベルリン市(パートナーシッププロジェクト)、シュトゥットガルト市(資金調達施策)、ドレスデン市(冷房システムネットワーク化)、ボン市(公共施設に再生可能エネルギー)、ミュンスター市(古い建築物の改修プログラム)、フリードリヒスハーフェン市(水力発電で全電力需要供給)、オッフェンバッハ市(民間出資の太陽光発電設備)、ニュルンベルク市(エネルギー貧困防止プロジェクト、人地下鉄路線)、フライブルク市(ソーラーエネルギー利用)、ケルン市(ソーラー団地)、ミュンヘン市(ソーラー団地、市営地域熱供給網)、ハンブルク市(ハンブルク環境パートナーシップ)、アウグスブルク市(インターネットポータルサイト「アウグスブルクの再生可能エネルギー」)、マインツ市(地球温暖化防止対策とエネルギー効率のためのマインツ基金、家庭ごみから電力と熱を生産)、ボン市(エネルギー・デー」、モビリティ促進の自主協定)、リューベック市(断熱コンテストと子供グリーンマイレージキャンペーン)、ロストック市(路面電車の拡張)、ミュンスター市(環境配慮型交通手段促進交通コンセプト)、ドレスデン市(ドレスデン・モビリティ戦略)、オッフェンバッハ市(通勤手段転換)、エスリンゲン市(カーフリー・モビリティ)、リューベック市(港に陸上電源を整備)、ミュンヘン市(生ごみと剪定ごみのエネルギー・リサイクル・マネジメント)、フライブルク市(メタンガスと有機性廃棄物によるエネルギー供給)など

 [パンフレット『変革のチャンス〜ドイツの自治体が取組む地球温暖化防止戦略』参照]




ドイツでのエネルギー政策は、地域ごとに独自性があります。この背景には何があるのでしょう。

ドイツは連邦制国家で地方自治が強いという特徴があります。ですのでエネルギー政策についても地域特性に合わせた独自の発展のしかたになります。

各都市のエネルギー政策は多種多様ですが、特筆すベきものがあれば教えてください。

ハンブルク市で始まり全国的に広まったユニークな取り組みにフィフティ・フィフティがあります。

学校などの公共の建物で省エネ活動に取り組んで、浮いた光熱水費を学校と自治体ではんぶんこするというのがもともとのアイディアです。

生徒と教師と管理人による対策チームを編成するなどして取り組んでいます。公立学校の光熱水費はつまり公費ですから、公費節減にもなるということで、ドイツ人の倹約気質とよくマッチしたのでしょう、ベルリンやハノーファーなど各地に広まりました。

省エネ自体は何年も成果があがるものではありませんが、さらに再生可能エネルギーについて学んだり、環境教育の取っ掛かりにもなっています。

あなたご自身の取り組みについて教えてください。

10年前に日本の環境NGOで活動していた頃、こうしたしくみづくりを日本でも広げようと、北海道から沖縄まで自治体への調査や働きかけを行いました。

関心を持つ学校も多く、数十自治体での取り組みまで増えましたが、予算が絡むため行政内での調整が難しく実現できないケースもままありました。

ところが福島原発事故以降、こうした取り組みへの関心が高まっているとのこと。エネルギー源について学ぶことも大事ですが、子供の頃に暮らしに身近なエネルギーについて考える機会を得て、エネルギーに依存しきらない暮らし方の秘訣を学ぶことこそ、サステナブルなエネルギー教育、そして継続的な省エネだと私は考えます。


ドイツに移られて何年ですか。

ドイツには、7年ほど暮らしています。
1年ほど前からは、ドイツ中西部のダルムシュタットという街に住んでいます。

欧州経済の中心地であるフランクフルトから電車で南に30分で、大学や研究機関が集まる学術都市です。

人口は約15万人とコンパクトで、中心部から放射状にトラムとバスが走り、たいがいの用事はその範囲で事足りますが、たまに車が必要になれば街のあちこちにあるカーシェアリングを活用します。


ダルムシュタットは、どのような街ですか。

ドイツの都市は、たいてい川に面しているのですが、ダルムシュタットはそうではなく、森に囲まれていて、さらに南下するとぶどう畑が広がる丘陵地帯が続きます。

ダルムシュタットは、初めてパッシブハウスのコンセプトで建てられた住宅があることでも知られています。


パッシブハウスとは?

これは、窓から差し込む太陽光と換気を工夫することにより、暖房をほとんど必要としない省エネ住宅を言います。

従来、中央ヨーロッパの気候では、冬場になりますと、セントラルヒーティングが不可欠でした。


需要はいかがですか?

1991年に研究プロジェクトの一環でダルムシュタット市のクラーニッヒシュタイン地区に4世帯の集合住宅が建てられて以来、同地区ではパッシブハウスが増えています。

パッシブハウスを認定するパッシブハウス研究所(PHI)もダルムシュタットにあります。


行政上の課題は?

交通面では現状ではなかなか課題の多い街です。

大戦の空襲で街は壊滅的な被害を受け、戦後に車中心の街づくりがなされた結果、自転車道を設置するゆとりのない道幅の狭い道路だらけになってしまったようです。

2011年に緑の党の候補者が市長になってから、自転車道や自転車優先道路の整備が急ピッチで進められている最中です。




2014年4月